61歩目 光と影

岐阜市の姿勢改善専門ピラティス

スタジオアルコスです。


6月に入り、

ますます日が長くなって

きました。明るい時間が長いと

なんとなく得をしたような気分に

なります。

 

夕暮れ時に

外からの光がブラインドを通して

スタジオの壁に素敵なアートを作り出して

いました。

光と影が織りなす束の間のものなので

ちょっとした光の強弱でもすぐに

表情が変わってしまいます。

そういった素敵な

光景は実際には

いつでもどこでも私たちの

周りに存在しているんですよね。

それにタイミング良く出会うのか、

見つけられるのか、

好みに合うのか(笑)などの条件が合うか

どうかというだけで。

 

ところで

影という言葉、

私たちは

光を受けて反対側にできた黒いもの、

いわゆる影を

イメージしますが、

古語が使われていた時代には

むしろ光を表すものとして

使われていました。

 

月の影はすなわち月の光。

日の影はすなわち日の光。

灯の影はすなわち灯火の光。

 

そもそも光と影は切り離せないもの

ですから、影=光として

使っていた昔の人々の感性に哲学的なものや

物理的なセンスを感じます。

 

辞書を引くと影には、

姿、形、といった意味もあり、

これも光という意味が派生して

できた意味なんだと想像することが

できます。

光の反射によって私たちの多くは

姿や形を認識していますから、

影→光→姿、形、

これも実に良くできた関連づけですね。

 

 

こうやって考えてみると

古語の世界は今私たちが使っている

現代語のいわば深層筋のように

思えてきます。

ある意味、言葉の解剖学の世界だと

言えるのではないでしょうか。

 

身体の成り立ちも

光と影の言葉のように

切り離せない間柄のものが

多いと言えます。

筋、骨、内臓、血管、姿勢、

どれもどれか一つだけで存在して

いるのではありません。

 

一見全く別のカテゴリーに

ありそうな言語と身体ですが、

共通するところがあるというわけです。

 

そして、

言葉と身体も切り離せないな、と

感じる毎日です。

 

影には、他の意味もありますよ。

それも、なるほどね、と思ったり

何気なく今使っている言葉の意味を

改めて認識できたりしますので

良かったら古語を調べてみてくださいね。

 

あこ©2021studioARCOS Akiko Kuzuya